・『自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門』 (講談社現代新書) (単行本)
森村 進 (著)
個人的自由と経済的自由の両方を最大限尊重する「リバタリアニズム」の入門書。
リバタリアニズムと言っても、論者によってその趣旨・細部はかなり異なるようです。本書は、そのあたりも手際よく整理されていました。リバタリアニズムの中でも、国家廃止まで主張する最もラディカルな立場が「アナルコ・キャピタリズム」(無政府資本主義)、という理解で間違っていないようです。
リバタリアニズムは今の日本ではなかなか受け入れられがたそうです。まあ、著者はそんなことは百も承知の模様。
私もリバタリアニズムに与する者ではありませんが、その論理貫徹性には一定の敬意を表したいと思います。
《リバタリアニズムが理想とする国家は民族との結びつきを重視しないコスモポリタンなものであって、その点では、近代的な国民[民族]国家(ネーション・ステイト)よりもむしろ、多様な民族と文化を共存させて通商と交流を可能にしていた前近代的な帝国(エンパイア。その典型は古代ローマ帝国)に近い。》(p.144)
近代国民国家の理念のひとつに掲げられた「自由」は、むしろ「前近代的な帝国」の方でより実現されていた、というのは逆説的でなんとも面白い。もっとも、「自由」も多義的な意味を孕むから、単純比較は慎むべきかもしれませんけど。
ところで本書には、リバタリアニズムの一潮流としてオーストリア学派経済学の所説に結構ページが割かれています。ハイエクが最も有名ですね。ミーゼスも名前だけは聞いたことがあります。
オーストリア学派は、リバタリアニズムのひとつの源泉とも言えそうです。ふと思ったのですが、ハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)は二十世紀前半まで存在していました。前近代的かどうかはともかく、「帝国」だったことはたしか。実際、ミーゼスはオーストリア帝国財務省で勤務していたそうです(Wikipediaより)。
そういうオーストリーからリバタリアニズム的なオーストリア学派が生まれたことは、偶然なのか必然なのか? 興味が尽きないところです。